【贈り物語り】 命のつながり
このお話はテレビ寺子屋で放送された中山靖雄先生の講演をもとに贈らせていただきます。
今ここにいるということは、生まれてから今日までの長い過去があります。そして今から死ぬまでの未来があるけれど、過去はもうどうにもならないのです。
然しこれからをどう生きるかが大事なのです。人生は、今、今、今の連続です。
こんな言葉があります。
「やり直しはできないけれど、出直しはできる」
過去に戻ることはできないけれど、今から立て直すことはできるのです。
私はよく福井県に「母の日」の講演に行きますが、どんな話をするかというと、
実は「母の日」は自分が大事にされる日ではなくて、自分を産んで下さったお母さん、或いはお姑さんに感謝する日なのです、ということをお話しします。
ところが、案外「母の日」というと自分が大事にされる日だと思っている人が多いのではないでしょうか。
前の日から、子供達に
「明日は何の日か知っとるね」とか
「母の日じゃなかったかね」
「明日の朝ご飯は誰が心配してくれるの」とか、
請求してるお母さんが多いようです。
講演が終わって、家に帰って来て一服して、本を読んでいたら、
主催者のご婦人から電話がかかってきました。
「今日は本当に有難うございました。実は今年の母の日に、どんな話をして頂けるかと思っていたのですが、とてもいいお話をして頂いて、本当によかったと感謝しています。
私も何か母の為にと考えたのですが、もう亡くなってますので、せめてその母に感謝の気持ちをと思って、お墓参りに行きました。
すると高校生の娘が『私もお婆ちゃんに可愛がってもらったから、一緒に行くわ』とついてきました。
奇麗にお掃除も終わって、さっき帰ってきてご飯を食べて、何げなくテレビを見ておりましたら、
娘がやってきて、
『お風呂が沸いたからお母さん入ったら』と言うので、
『じゃあお父さんから入ってもらいましょう』と言いましたら、
『だって今日は母の日じゃないの。何もプレゼントを貰っていないのだから、今日はお母さんが先に入ってよ』と言うのです。
それではと入ろうとしたら、娘もついて来て、
『お母さん、タオルと石鹸をかして』と言うのです。
『どうするの』と渡しましたら、娘が背中を流してくれるのです。
『何よあんた、あんまり変わったことしないでよ』と言ったら、
『これは生き仏のお墓掃除よ、死んでから、こんな暖かい墓石流せないのよね』
と言われて、私は胸がいっぱいになり、顔を洗う振りをして流れる涙を隠しましたが、こんな嬉しい母の日はありませんでした。
どなたに言っても娘自慢に聞こえると思うけど、中山先生にはこのことがわかって貰えると思ってお電話いたしました」
と言うことを、電話の向こうで、泣きながら私に話してくれたのです。
どなたにも母の日はあるのです。
われわれがどう生きるかが次の世代につながっていくのです。自分がちょっぴり努力して生きることによって、先に走った人も、後から走る人も喜んでくれる世界があるんじゃないかと思うわけです。
過去は変えられなくても、これからを作っていくことが出来るのです。
この間茨城県に行ってきました。あそこに野口雨情記念館というのがあります。
野口雨情の作った童謡に「シャボン玉 」という歌があります。
あの歌が、いみじくもこのことを奇麗に歌い上げているような気がいたします。
今ここにいるということは、生まれてから今日までの長い過去があります。そして今から死ぬまでの未来があるけれど、過去はもうどうにもならないのです。
然しこれからをどう生きるかが大事なのです。人生は、今、今、今の連続です。
こんな言葉があります。
「やり直しはできないけれど、出直しはできる」
過去に戻ることはできないけれど、今から立て直すことはできるのです。
私はよく福井県に「母の日」の講演に行きますが、どんな話をするかというと、
実は「母の日」は自分が大事にされる日ではなくて、自分を産んで下さったお母さん、或いはお姑さんに感謝する日なのです、ということをお話しします。
ところが、案外「母の日」というと自分が大事にされる日だと思っている人が多いのではないでしょうか。
前の日から、子供達に
「明日は何の日か知っとるね」とか
「母の日じゃなかったかね」
「明日の朝ご飯は誰が心配してくれるの」とか、
請求してるお母さんが多いようです。
講演が終わって、家に帰って来て一服して、本を読んでいたら、
主催者のご婦人から電話がかかってきました。
「今日は本当に有難うございました。実は今年の母の日に、どんな話をして頂けるかと思っていたのですが、とてもいいお話をして頂いて、本当によかったと感謝しています。
私も何か母の為にと考えたのですが、もう亡くなってますので、せめてその母に感謝の気持ちをと思って、お墓参りに行きました。
すると高校生の娘が『私もお婆ちゃんに可愛がってもらったから、一緒に行くわ』とついてきました。
奇麗にお掃除も終わって、さっき帰ってきてご飯を食べて、何げなくテレビを見ておりましたら、
娘がやってきて、
『お風呂が沸いたからお母さん入ったら』と言うので、
『じゃあお父さんから入ってもらいましょう』と言いましたら、
『だって今日は母の日じゃないの。何もプレゼントを貰っていないのだから、今日はお母さんが先に入ってよ』と言うのです。
それではと入ろうとしたら、娘もついて来て、
『お母さん、タオルと石鹸をかして』と言うのです。
『どうするの』と渡しましたら、娘が背中を流してくれるのです。
『何よあんた、あんまり変わったことしないでよ』と言ったら、
『これは生き仏のお墓掃除よ、死んでから、こんな暖かい墓石流せないのよね』
と言われて、私は胸がいっぱいになり、顔を洗う振りをして流れる涙を隠しましたが、こんな嬉しい母の日はありませんでした。
どなたに言っても娘自慢に聞こえると思うけど、中山先生にはこのことがわかって貰えると思ってお電話いたしました」
と言うことを、電話の向こうで、泣きながら私に話してくれたのです。
どなたにも母の日はあるのです。
われわれがどう生きるかが次の世代につながっていくのです。自分がちょっぴり努力して生きることによって、先に走った人も、後から走る人も喜んでくれる世界があるんじゃないかと思うわけです。
過去は変えられなくても、これからを作っていくことが出来るのです。
この間茨城県に行ってきました。あそこに野口雨情記念館というのがあります。
野口雨情の作った童謡に「シャボン玉 」という歌があります。
あの歌が、いみじくもこのことを奇麗に歌い上げているような気がいたします。
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