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明治新政府が誕生したものの、まだ多くの問題が山積みでした。 特にまだ、解決されていないのは浦上キリシタンの処分についてでした。 政府の要人たちには島原の乱の記憶が新しく、 1868年、全国に「キリスト教は邪教である」と掲示し、 浦上のキリシタンを全国の諸藩に流罪にしました。 同年、津和野、福山、長州へ合計114名の浦上信者が故郷長崎の地を出発しました。 役人たちの説得と、キリスト教についての質問が始まりました。 「キリシタンの教えの悪いところは一つもありません。神を信仰しているだけです。 これをやめるくらいならば決してここまで参りません。どんなことがあっても改心いたしません。」 と断固、役人たちの言うことを聞きませんでした。 そしてとうとう役人たちは信者を虐待し始めたのです。 ふとんがわりにムシロ一枚、ごはんは一日三合に、汁は塩と水だけ。 着るものといえば、冬になっても長崎から着てきた単位物一枚きりとなったのです。 人々は毎日与えられる一枚のチリ紙をごはん粒で張り合わせ、着物の下にあてがい、 夜は凍りつくような板の間の上にムシロを着て、少しでも暖をとるため、互いに抱き合って夜の あけるのを待ったのです。 そのうち6名が耐え切れず、改心し、別の場所へ移されました。改心者は新しい衣服や十分な食事、 そして自由が与えられるようになったのです。しかし、長崎に帰ることはできず、人夫として津和野で働くことになりました。 そして役人たちは、改心者のぜいたくぶりを見せつけ、他の信者にも信仰を捨てさせようとしました。 しかし、どんな責め苦や飢餓もだめだと思った役人は、とうとう拷問を与えることにしたのです。 それは、分厚い板で作られた三尺四方の箱で、窒息しないように一方だけ何本かの棒で作られ、 天井には食物を入れるための小さな穴があるだけの三尺牢と呼ばれる牢に入れることにしたのです。 (私は乙女峠に展示してあるこの「三尺牢」を直接みたことがありますが、 それは本当に小さく、体を丸めて閉じ込められ、背伸びもできない状態が延々と続く、 想像するだけで発狂しそうな拷問でした。) そして、一人の信者がその牢に入れられ、20日の後、最初の殉教者となったのです。 また、他の信者は、寒い1月、雪降る庭に連れ出され、ムシロの上に座らせ、3日3晩説得されました。 決して信仰は捨てませんでしたが、途中、下痢を起こしすっかり痩せてしまいました。 甚三郎がひそかに慰めに行くと、彼は 「夜の10時から明け方まで、寂しくありません。マリア様の御影によく似た美しいご婦人が現われ、物語をしてくれます。この事は、私が生きている間は誰にも話さないでください。」といいました。 甚三郎が 「お母さんに連絡できるなら何を伝えてほしいか」 とかなわぬ願いをたずねると、 「私は三尺牢の中を十字架上だと思い、喜んで死にますと伝えてください。」 といって、息を引き取りました。 仙右衛門らが、三尺牢にとじこめられている間、たびたび甚三郎は役人に呼び出され説得されました。 役人たちは甚三郎を呼び出すと必ず東の方を一心に拝み、「改心して太陽を拝め」と命令しました。 しかし、彼はきっぱりと「拝みません」と答えます。 役人たちは怒って、こう言いました。 「私たちが無事に過ごせるのは太陽のおかげだ。お前たちは目に見えない神を一生懸命拝んでいる。 しかしそんなくだらないものは一日も早く捨て改心するように。」と。 そこで、ある日、甚三郎は役人に向かって答えました。 「ある日、お役人様が何かの用事で外出されたとしましょう。 用をすませて家へ急ぐ途中、日がどっぷりくれ、田舎のことなので道が悪く一寸先も見えません。 途方にくれていたとき、ある人がちょうちんに火をつけて 『どうぞこれを使ってください』 と親切に貸してくださいました。 そのお役人はちょうちんのおかげで無事、家に帰ることができました。 お役人さま、私に太陽を拝めというのは、助けてくれたちょうちんを高いところにあげ、平伏して 『ちょうちん様、ありがとうございました。あなたのおかげで命が助かりました。』 と言う事です。 ちょうちんを貸してくださった方にはお礼を言う必要はないとおっしゃるのでしょうか。 私なら、そんなちょうちんに礼など言わず、ちょうちんを貸してくださった方に 『ありがとうございました。』とお礼を言いにまいります。 私たちは太陽のありがたさを知っていますが、その太陽を造った神を拝み、感謝しているのです。」 役人たちは、あまりにも道理にかなった話に言葉もなく、怒りながら甚三郎を牢に放り込んでしまいました。 次の日、役人たちは甚三郎と仙右衛門だけを牢の前にある池に連れて行きました。 その池は、約1ヶ月前から降り続いている雪のため、氷が張っていました。 外にいるだけででも身体が凍てつく寒さの中、役人たちは二人を裸にして 池の中へ突き落としてしまいました。 その冷たさは、身体中を針でさすようで、それに負けじと、二人は大きな声で祈りを唱えはじめました。 すると、役人たちは氷水を頭から何度もかけました。 仙右衛門は「主の祈り」を甚三郎は「身を捧げる祈り」を一心に唱えていましたが、仙右衛門が堪え切れなくなり 言いました。 「甚三郎、私は目が見えない。世界が廻る。私に気をつけてください。」 そして、息の根が止まりそうに思われたとき 役人は長い竹で彼らのちょんまげをひっかけ、力まかせに水の中から引き上げたのでした。 その後、「お前たちはさぞかし寒いだろう」と言って、 火の上で彼らの身体をあぶったのです。それは、死ぬほど恐ろしい、そして苦しい拷問でした。 地獄のような責め苦にあった甚三郎と仙右衛門は、三尺牢に入れられましたが、冷え切った身体の震えは一晩中とまりませんでした。 その日の夕方、城下で働き帰ってきた改心者が、甚三郎らに食物も与えられていないのを知るや 「同じ国から同じキリスト教を信じ、この地へ来たのです。今は改心していても、 必ずあの人々の助けと祈りによって神に許してもらおうと思っているのです。」 と言い、夜の間に役人の目を盗んで、食物を差し入れ続けたのでした。 事実、改心者は謙遜に 「私たちは弱く、キリスト教を捨てて本当に悪かったのです。神が許してくださるように祈ってください。」 と彼らに願い、食物を運んだのでした。 これら改心者の人々の助けがなければ、決して長い長い牢獄生活に耐えることはできなかったのです。 |
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