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私の読んだ「津和野殉教物語」(著者:水口登美子)をもとに ここで日本人の信仰心について紹介したいと思います。 島根県 津和野町、 西の京都とも呼ばれる街で 私が訪れたことのある場所で 最も好きな街の一つです。 そこに「乙女峠」と呼ばれる 日本のクリスチャンが忘れてはならない殉教の地がある。 静かな祈りに満ちたその場所には 偉大なクリスチャンの先人達の信仰が 今も脈々と語り継がれている。 ---------------------------------------------------------------- 1858年、通商条約が結ばれるまで 徳川時代に行われた鎖国政策のため、200年以上もの間、 日本の地に宣教師は足を踏み入れることはできませんでした。 この時から鎖国が解かれ、外国人の寄留地には礼拝堂を建てることができるようになりました。 そして1865年、長崎の地に大浦天主堂が建てられました。 建設中、多くの日本の人々が見物に来ていました。 神父たちは、もしかするとその中には隠れキリシタンがいるのではないかと 期待もしていましたが、工事が終わると、誰一人姿を見せなくなりました。 神父たちは肩を落としていましたが、この時代、依然としてキリシタン禁制が続いており、 役人達も厳しく見張っていたのでした。 それから1ヶ月の後、14、5人の小グループが天主堂の門の前で中をうかがっていました。 役人達がいないのを確かめ、その中から一人の婦人が神父のもとにかけより、胸に手をあて 「私達はキリシタンです。神父様と同じ心をもっています」 と神父の耳元でささやき、 「マリア様の御像はどこですか」 とたずねました。 神父がマリア様の御像を見せると、 「本当にマリア様だ。御子イエス様を胸に抱いていらっしゃる」 と口々に叫び、喜んでいました。 神父は感動し、 「どこのお方ですか」 とたずねると、 「私達は皆、浦上のものです。浦上のものは皆、同じ心です。」 多くの隠れキリシタンは 「沖に来るのはパーパ(ローマ教皇)の船よ、マリアの字の帆が見ゆる」 という歌を言い伝え、 「7代の孫のころに、パーパ様から遣わされた神父様が、 マリア印のついた帆をあげて、長崎へ入ってくる。 それからはその教えを信じてもいいように制度が変わる。」 という預言を信じて、もうそろそろその時代が来るころだと思い、 皆、胸を膨らませていたのでした。 神父は激しく感動しました。 200年もの間、宣教師一人もいない中で、孫から孫へと、 固く守り続けてきたその民族の信仰に涙が溢れました。 そして、確かにこの地でも神様の歴史が生き続けているのを強く感じたのでした。 多くの信者たちが天主堂にやって来るようになり、 役人の見張りがさらに厳しくなってきました。 そこで神父は迫害が起こるのを恐れ、 約1年のあいだ、真夜中に教えを伝えていきました。 それでもいよいよ迫害が始まり、 捕らえられる信者もあらわれました。 そして津和野の乙女峠の受難の発端となる大迫害が起こったのです。 このとき、捕らえられた中に 後に、霊的な大黒柱となり、人々を励ますことになる高木 仙右衛門 そして、伝道師として活躍していた若者、守山 甚三郎がいました。 牢に移されると何人かが 手と足を背中にまわされ、胸と首に縄をかけ、 背中でしばられ家の梁に巻き上げられるという それは苦しい拷問を受け、死人のようになってしまいました。 それを見ていた多くのキリシタンは、その拷問に耐えることが出来ないと思い、改心し、 なんと伝道師 甚三郎さえも改心してしまったのです。 残るはただ一人、仙右衛門だけとなりました。 改心者が次々と釈放される中、仙右衛門に説得が続けられましたが、 彼は役人に 「神様から頂いた魂と、神様に対して、この上ない不幸ですから、改心できません。 私は人を恐ろしいと思いません。ただ、神様だけを恐れます。 百人仲間がいるから強いとか、一人になったから弱くなった、というものではないのです。 私一人になっても、私の心は変わりません。」 とキッパリ答えたのです。 役人は 「それならもう改心せよ、とは言わない。私達ももとは武士だから 戦場で一人になっても殿様にご奉公しようという志と、 お前が神にご奉公しようとする気持ちは同じだ。」 と言い、仙右衛門を一旦、村に帰すことに決めたのです。 浦上に戻ると村人達は仙右衛門のことを褒めたたえました。 一方、改心して早く帰ってきた人々は、家族の者から 「信仰を捨てた者は家に入るれることはできない」 と閉め出されてしまっていたのです。 伝道師 甚三郎も、三日三晩、山の中で泣きあかしたあと、仙右衛門に勇気づけられ 改心した人々を集め、殉教の覚悟で38名の改心もどしの願いを奉行所に提出しました。 奉行所はこの願いを取り上げ、連絡があるまで待つようにと一同を村に帰しました。 この浦上事件が解決しないまま、1867年、 259年続いた幕府が倒れ、明治新政府が誕生したのです。 |
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